つまりはお互いさまということのようです
好きなものを愛でるだけでなく、何が不快で恐ろしいのかを見ることで、自分というものがより深く理解できるのではないでしょうか
ゲームを遊ぶ人どうしで意見の相違があるというのはソーシャルゲームVS従来ゲームに限ったことではありません
ゲーマー側には従来ゲームこそがゲームであり、ゲーム業界を支えているものであるという自負があり、ソーシャルゲームプレイヤー側にはソーシャルゲームは従来ゲームよりもカジュアルであるという視点があるのです
ゲーム界が画一化し、あらゆる層で同じゲームが流行る・・・それどころか「層」という分け方自体が無意味になるくらい均一化すれば衝突は限りなく少なくなりそうです
逆に『Halo』のようなゲームを助けることになるだろう
自分らはゲーマーではなく、持っているコンピューターでゲームをしているだけ
互いの位置が遠ければ無関心となりますが、近いとこのようになります
「『FarmVille』は一部のゲーマーにはインタラクティブ・エンターテイメントのランドスケープにおける災いとみなされており、彼らは単に『FarmVille』の名前を挙げるだけでも涙を流して悲しむ」
「これらのゲームがたくさんの顧客を獲得することは『Halo』のようなコア向けゲームが消えることを意味しない
ゲーム業界の発展に何も寄与しない」といい、ソーシャルゲームのプレイヤーは「ゲーマーたちは堕落している
「非ゲーマーの恋人は『FarmVille』やオンラインポーカーをする
あなたはFacebookのゲームを遊ぶ必要はないが、憎む必要もない」
米国のコメディアンにして作家であるMike Drucker氏はソーシャルゲームのプレイヤーたちにもゲーマーへの偏見があるといいます
逆に、こうした衝突が起こらない方が危険でしょう
海外メディアIGNのNicole Tanner氏は興味深い指摘を行っています
ゲーマー側は「あんなものはゲームじゃない
カジュアルゲームプレイヤーは、自分たちが遊ぶゲームを別格にすることで“自分たちはゲーマーたちのように堕落していない”というだろう
ゲーマー側はソーシャルゲームの何が恐ろしいのか
古くはアドベンチャーVSRPGからはじまり、RPGVSアクションゲーム、格闘ゲームVS音楽ゲーム・・・と枚挙にいとまがありません
非ゲーマーの恋人や家族は実際の所ゲームで遊ぶけど、彼らはこれを“ゲーム”と見なさない
ソーシャルゲームプレイヤーは自分たちの何を誇り、既存ゲームのどこを不快に感じるのか
こうした歩み寄りは決して無意味なものではないでしょう
意見の違いを消すのはきわめて難しいのです
でも、そんなゲーム界は面白いのでしょうか,rmt?
ゲームを趣味とするのであれば、せめてこうした衝突からプラスのものを引き出したいところです
新旧ジャンルの信奉者たちには大きな意見の相違があるようです
ここで従来ゲームVSソーシャルゲームの発言を見ていると、どちらの発言も、自分たちが遊ぶジャンルに誇りを持っているが故のものであることがわかります
これは酷い論理だが、みんながどう考えるか、ということ」
立場が違えば相手を思いやることは難しくなります
では、ソーシャルゲームはこうした偏見を巻き起こす問題ジャンルなのでしょうか?決してそんなことはありません
携帯電話にゲームアプリも入ってる
自分たちが遊ぶソーシャルゲームはゲームじゃない」という
既存のゲーマーはソーシャルゲームのプレイヤーたちに対して偏見を持ち、これを憎んでいるというのです